【大学生】人生で一番頑張った一年【感謝】

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この記事は、大学3年目に留学した後、

卒業するために奮闘した1年間の大学生活の話と、それを支えてくれた人への感謝の話です。

大学を中退しようとしてたこと

私は新聞奨学生として、仕事の傍、大学に通うという生活を送っていました。

大学一年生の時は、ガッツにあふれ、普通の学生には負けない!と意気込んでいました。

実際に授業もちゃんと出席していて、成績は良いとは言えませんでしたが、

英語の自主勉強から、単位を落とさないようにと授業にも食らいついていきました。

しかし、2年生の時、新聞配達の仕事にも慣れ、リズムを取れるようになって、余裕が生まれたため、

ゲームセンターで遊ぶ楽しさを覚えたしまいました。

あれだけあったやる気が、すべてゲームに注がれて、授業もサボるようになってしまいました。

習得単位数も、一年の時と比べて格段に減り2年生の後期はまさかの0単位

学校に行っているふりをして遊んでいました。

それと同時に、新聞の勧誘で販売所でトップの成績を取ってしまって少し舞い上がってしまったというのもありました。

仕事が少し楽しくなってしまい、学校に通うのも億劫になってしまいました。

2年生の後期には、本当に大学を中退しようかと思っていました、他に何かやりたいということがあったというわけ

ではなく、ただめんどくさくなってしまいました。

また大学の授業が自分にあっていないと感じたのも影響して、

このままやめてしまうのだろうか?と自分でも少し諦め掛けていました。

大学での出会い

私には、お世話になった友達が何人かいます。

その中で、大学であった友達で今でも一番交流があるのが、この友達(K君)です。

K君との出会いは今でも覚えています。

大学1年の後期の英語クラスで、一番成績のよかったAクラスに進級できた時の最初の授業でした。

私は、教科書を忘れてしまい、たまたま隣にいたのがK君でした。

その授業はK君の教科書を使って一緒に授業を受けました。

K君は、一言で言うと変な奴でした。ですが、大学がちょっと変わった生徒が多く通ってくるところでもあり、

何より、私も変な奴だったのでKとは意気投合しました。

英語のクラスは成績が上のクラスから、A、B、C、Dとあり、

私は1年前期はCに、K君はBでしたが、成績がよかったので、両方Aに上がれたと言うことや、

英語の勉強が好きだと言うこと、そのほかの授業はお互いに苦手だったことなど

共通点がたくさんあり、本当に話があいました。

ただ違う点としては、彼は実家から通っており、バイト等をしておらず、勉強に集中できたことくらいでしょうか。

最終的には、K君は大学を成績優秀で卒業しています。

そして分岐点に

話は戻って、大学をやめる?かやめないか?

悩んでる私に声をかけてくれたのが、K君でした。

K君は

来年度、イギリスに留学しないか?自分も一足先に向こうに行っているから合流しよう!

と言ってくれました。

私は考えました、確かに今のまま腐っていても良いことなんて一つもない、

ここは気分を変えるためにも留学しようと、、、

留学の準備を始めますが、これが結構な難しい状態で、

・新聞奨学生を一時中断しないといけないこと

・まかなっていた学費では足りないこと

・大学が推奨する学校への留学ではないから手続きは自分で行う必要があること

・留学時の語学学習が単位認定されるには、1日1授業では足りなかったため

 ダブルスクールしなければいけなかったこと

等がありました。

販売所の荷物を一旦田舎に送ったり、学費の話を親としたり、

ビザの申請のために英語での手続きに戸惑ったり、

留学前に2つのスクールに事前に学費を納金したり、手続きしたりとしました。

不思議なもので、この時はロンドンへの留学で不安と期待で、大学辞める、辞めないと考える暇は

ありませんでした。

そして、満を時してロンドンへの留学が叶いました。

その時の話は、以下の記事に譲ります。

ロンドンにて合流

ロンドンに行き、最初にK君に会いに行きました。

K君も、自主留学のため、大学の推奨の学校ではありませんでしたが、

成績優秀で、日本の大学でほとんどの授業で、最高成績の「秀」を取っており、

英語の成績もよかったこともあり、ロンドン大学に留学していました。

ロンドン大学での授業は主に英語を、深掘りしているようで、

論文を書いたりとさらなる勉強を重ねていたようです。

今でも思い出すのは、料理を作らないK君と肉じゃがを作ろうという話になった時でした。

料理ができないK君の代わりに、私が色々と食材を揃えたり、調理をしました。

サイダーを使って作った肉じゃがの味は、久しぶりの日本食でとんでもなく美味しかったです。

ご飯4号を炊き二人で2号づつ食べました。

それでも肉じゃがはあまり、後日K君が美味しくいただきました。

他にも一緒に観光したり、勉強したりしました。

留学を終えて、そして最後の1年

K君は、先に日本に戻り、私は勉強を継続、

留学を終えて日本に帰ったのは3月に入ってから、

その後は、新聞販売店への再手続き、留学時の勉強の単位認定の手続きを済ませました。

すっかり留学で刺激的な世界を堪能して、まさに英気を養った私は、ここで現状に直面します。

私が、留学時までを含めた単位修得数は68単位

卒業に必要な単位数は124単位

あと残り56単位が必要という状況でした。

1年間に修得可能な単位数は60単位

論文等も残っており、落とせない授業もいくつかあり本当にギリギリですが、この年度に卒業できる可能性がありました。

その時背中を押してくれたのが、K君でした。

K君「お兄さん(私の呼び方)、頑張れば卒業できますよ。一緒に卒業しましょう!

これほど、心強い声援はありませんでした。

私もなんとか一年なら、新聞奨学生を続けながら、頑張ることができると感じました

もう一度やり直せるんだと思った瞬間、今度こそはやり遂げてみせる。

なによりK君がそう言って信じてくれたんだから、やらないわけには行かない。

そこからの1年は、とにかく自分との戦いでした。

ゲームセンターも控え、早寝早起きに務め、苦手な授業もなんとかこなし、履修登録も前期、後期合わせて60単位登録し、1授業づつしか落とせないという状況、しかも必修や卒論もありました。

ですが、不思議と楽しかった、燃えていたのを覚えています。

あの1年の出来事は全く覚えていませんが、とにかく充実感があったのを覚えています。

卒論では本当に苦しみました。英語について何か卒論を書きたかったのに、

英語の専門の先生がいないということで、書かせてもらえず、

仕方なく助教授の研究を手伝うような論文で大目に見てもらいました。

そして、後期の成績発表の日が来ました。

自分の中では、前期で2単位落としていたこと、後期でも2単位確実に落としている授業があったため、

想定している全ての授業をパスする必要がありました。

結果は、、、、最後の1年で56単位取得できました。

晴れて卒業が確定して、なんとも言えない達成感が自分を包みました。

あの日、K君と出会わなかったら、

腐ってた時に、K君に留学を進められていなかったら、

最後の1年のはじめに、K君に背中を押されていなかったら、

今の大卒を取った自分はいなかったと思います。

まとめ

これは、単純に背中を押してくれた人への感謝をまとめた、ただそれだけの話です。

そして、K君には大変お世話になっているので、彼ののぞみならなんでもかなえてやりたいと思っています。

もちろん、K君だけでなく、支えてくれた家族や兄弟にも何か私にできることなら、かなえてあげたいという気持ちです。

「人は一人では生きていけないです。

一人の努力も必要かもしれませんが、だれかのために頑張れる人に私はなりたい」

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